性別二元論が根強い現代日本。
しかし、実際は「自分は男性にも女性にも当てはまらない」と自認して生活している人がいる。あるいは「男性でもあり女性でもある」、はたまた「いつか男性または女性として生活するだろうが、今はそうではない」という人がいる。そんな人々は「Xジェンダー」と分類されることがある。
「Xジェンダー」の当事者に話を伺った。インタビュー内容は一般化せず、あくまでも一例として読んでいただけると幸いである。
今回は、2018年に取材したBさんと再び連絡を取り、当時の回答を踏まえて現在の考えを書面で送って頂き、やり取りをした。
1、性自認を教えてください。
Bさんは女性の身体を持って生まれたが、こころの性を定義するとすれば、Xジェンダーだという。「自分の性別自体をあまり意識することはない。私にとって性別はアイデンティティではないと今は思っている」Bさんはそう語った。
2、いつ頃からそう思っているのか
初めて違和感を持ったのは、小学5、6年生ごろだそうだ。「当時は女の子っぽい服装をするのが嫌で、できるだけ女性らしさを自分から除こうとしていた」。だから、男の子の服しか着ようとしなかった。その後も、中学生・高校生の頃は男性と女性の間で揺れ動いていたという。
3-1、なぜ自分のことをXジェンダーだと思うのか。(2018年の回答)
高校生の時に「Xジェンダー」という概念を知ったBさんは、「自分がXジェンダーではないか?」と考えた。「社会におけるステレオタイプ、男性はこういうものだとか、女性はこういうものだとか、社会的に根付いている意識」に対して「どちらにも自分には完全に当てはまらない」という自覚があったからだ。しかし、「Xジェンダー」の括りにも迷いがあった。「Xジェンダー」の定義がBさんの中でも曖昧だったからだ。自分は「特定の性」なのか。「男性と女性の中間」なのか、それとも「男性・女性どちらも含む」のか、「そもそも特定の性別がない」のか?さらに、もしかしたら、トランスジェンダーではないのか?と迷ったこともあるそうだ。
3-2、なぜ自分のことをXジェンダーだと思うのか。(2022年の回答)
取材から4年後、再びBさんに話を聞いた。今でも性自認は「Xジェンダー」だという。なぜなら、「揺れ動いて、定義できない姿こそが自分」だからだそうだ。男性にも女性にもどちらにも完全には当てはまらないが、どちらかに寄ることもあるし、両方であることもあるし、無性別である日もある。そういった自由な心のあり方を許容している言葉として「Xジェンダー」を名乗っている。
4、自分にとってのXジェンダーとは
Bさんは、「Xジェンダー」に「社会的な性別に馴染まない人の居場所」という面を認識している。また、「定義できない姿のままで、自分を伝えることができる言葉」だと考えている。「自分を表すことができる言葉がないのは不安だし、人に伝えることができなくて不便だから、Xジェンダーという言葉に助けられている部分は大きい」と語る。
5、周囲にカミングアウトしているか
Bさんが自分から打ち明けるのは、親しい人か、セクシャルマイノリティのコミュニティの人のみだ。あとは聞かれたら答えるようにしているという。「カミングアウトすることは今でも怖い部分はある。Xジェンダーだけでなく、セクシャルマイノリティ全体に関してまだまだ理解が進んだとは言い難いから」。
取材者である私(中村)は性同一性障害当事者だ。性同一性障害はトランスジェンダーというもっと大きな括り(トランスジェンダーという大きな枠に性同一性障害が含まれる)で語られることが多く、また「性同一性障害」という単語自体も認知度はさほど低くないとの実感がある。性別二元論的に自己紹介のできる性同一性障害当事者に比べ、Xジェンダーという「性別二元論を超越した概念」を生きる当事者にとっては、もしかしたらカミングアウトのハードルはやや高いものになってしまうのかもしれない。
6、社会や周囲に望むこと
「個人的には、お互いが完全に理解し合えることはできなくても、理解できないままで共存できるような社会になれば良い」。Bさんは、誤解や差別をなくすための取り組みは最低限必要であることは前提であるが、人間同士完全に理解し合うことは難しいと考えている。「当事者同士でも相手を完全に理解しているわけではない。当事者と非当事者では尚更だと思う。だから、理解しあえないけれど、お互いの存在を許容できるような、そんな社会にしていきたい。今はそのために、当事者の存在が当たり前のように認識されるように、発信していくことが大事だと思う」。
7、呼び名、人称代名詞、服装について
Bさんに関するインタビューで興味深かったのは、三人称についてである。「彼」「彼女」という呼び名に関してはどちらでもよく、「娘」「姉さん」はしっくりこない、「息子」「兄さん」に関してはしっくりくるらしい。これは推察だが、娘や姉さん、という語には性別と、性別に基づく立場や役割が深く結びついていることから、しっくりこないのではないかと考えた。
今日は2022年10月11日、国際カミングアウトデーだ。1987年にワシントンD.C.でゲイ・レズビアンのワシントンマーチが行われた日であり、多くのLGBT活動団体が生まれるきっかけとなったこの日を記念し、翌年に制定された。
性自認、性的指向、性表現といったコトバは日本でもようやく語られるようになり、自治体の人権啓発リーフレットにも載るようになった。
コトバを知ることは、コトバからこぼれ落ちることがらを捨象してしまう代わりに、まだ見ぬ世界への入口を作ってくれる。コトバは時代や社会背景によって意味を柔軟に変化させ、人々によって語られ、また人々について語る。
「揺れ動いて、定義できない姿」。セクシャルマイノリティを社会的な存在として見つめ直す今日という日に、「Xジェンダー」というコトバが示す概念の一部を垣間見ていただけたなら幸いである。
🦋🦋🦋おしまい
💐Special Thanks💐
・Aさん(中編)
・Bさん(後編)
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