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チャーリー

#7【取材】「Xジェンダー」という生き方(中編)

 性別二元論が根強い現代日本。

 しかし、実際は「自分は男性にも女性にも当てはまらない」と自認して生活している人がいる。あるいは「男性でもあり女性でもある」、はたまた「いつか男性または女性として生活するだろうが、今はそうではない」という人がいる。そんな人々は「Xジェンダー」と分類されることがある。

 「Xジェンダー」の当事者に話を伺った。インタビュー内容は一般化せず、あくまでも一例として読んでいただけると幸いである。(質問項目については前編をご覧ください🦋)


 

インタビュー🦋🦋(2018年当時)


 Ⅹジェンダーという分類は「人類に残された最後の救済策って感じがする」と話すAさん。社会的でなければならない人間の在り方、「性別があることによって社会的規範に縛られる」姿、そこからの救済だと話す。

 解剖学上の女性であるAさんは物心ついた時から長い間「男が良かったなあ」と思っていた。むしろ「男だ」と思っていた節もあったそうだ。少なくとも交友関係は、その意識に多分に基づいていた。しかし高校時代に性別に縛られる必要はないと考えるように。「なんか、性別というものの存在が嫌いになったので」。性別があるから起こる問題ってめちゃくちゃ多いじゃないですか、それでね、性別に縛られない生き方もあるなと思いました、と語る。以来どちらにも属さない人として過ごしている。Ⅹジェンダーというもの自体、正直よくわかっていないそうだ。

 服装に関しては、最初は男の服しか着てなかったらしい。しかし女の子のかわいい服を見るのが好きでいるうちに、そういうのも好きな服の一部になって、「性別どっちでもいいやって思ってからは、どっちの服であっても好きな服を着るようにしてる」とのこと。

 Aさんは、事情に関しては「おなじⅩジェンダーの人とはそういう話はするけど、家族には言ってない」。やはり類が友を呼ぶのか、「なんか知らないけど、集まってくる」「中学から付き合いの長かった友達もⅩジェンダーだった。最近発覚したんだけど」。カミングアウトに関連して、呼び名については、公の場では「彼女」、仲間内では「彼」と呼ばれてもいい、むしろそっちの方が嬉しいようだ。親からは「ちゃん」付けで呼ばれることもあるようだが、親以外の人からそう呼ばれるのには違和感がある。

 研究などにおいてⅩジェンダーについて様々な分類や見解が現れる中でその動きをどう見ているか、という問いに関しては、「分類があることに対しては、その人はその人なんだから無理に分類にあてはめようとしなくてもいいのではないかと」「あてはめないと支援が大変になるとか、そういうのもあるんだろうけど、いろいろ新しい分類が出てきて、当人としても追いつけないみたいな感じになるよりは、無理に分類にあてはめないで『こういう人もいる』『こういう人もいる』って個々を見ていったほうがいいと思う」と話していた。Aさんは分類されることによって先入観を向けられるのは厄介だと思っているようだ。最近の日本での動きに関しても「無理やり取り上げすぎてる節があると思う」と疑問を抱いているようだった。取り上げている割に中身が伴っていない、それならあんまり取沙汰しないで、そーっとしといてほしい。社会や周囲に対しても高望みはしていないと話す一方で、「性別に関して笑いを取って行こうとするだとか、性別に関してなんかこちら側に聞いてくるとか、例えば『女の子なのにそういうの読むんだー』とか『女らしく』とか、そういうのは嫌」と言っていた。これらはⅩジェンダーでなくとも、近年話題になっている伝統的ジェンダーロールの打破ともかかわりがありそうだ。


 

 取材から4年、セクシャルマイノリティに対する日本における論調は多少の変化を見せたかもしれない。しかしやはり婚姻は「男女のもの」であるし、SDGsに掲げられているジェンダー平等も、経済や環境に関する政策に比べると後回しにされがちなように思える。


 ジェンダーに関わらず個人が個人として尊重される日が、1日も早く来ることを願って、中編を締めることとする。


〜〜🦋🦋🦋後編もお楽しみに!


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