#5 ツインテールとロリィタと俺(後編)
- チャーリー
- 2022年8月26日
- 読了時間: 4分
更新日:2022年10月10日
☆前編・中編のあらすじ☆
・地元はジェンダーに関して父権的保守思想を貫いており、セクシャルマイノリティは差別と偏見に晒され、在住当時は「存在する権利」さえも無かった。
・衣食住や教育に関してはたいへん恵まれた環境にいたが、性同一性障害やFTMへの無理解から、友だちや家族からは心無い言葉をかけられることがしばしばあった。
・そのため「解剖学上の女性」や「我が家のひとり娘」といった肩書きを、二十歳までは全うして生きていくと心に誓った。
・当時救いを差し伸べたのは「ツインテール」と「ロリィタファッション」であった。ジェンダーロール完遂の意思表示だけでなく、精神的な拠り所ともなっていた。
・しかし現実は厳しく性別違和も強まるばかりで……(←後編はここから!中編も読んでね🦋🦋)
3.じゃあもういっそ散切り頭にさせてくれよ
(注:一部、暴言・差別の描写を含みます)
2015年10月11日ごろにわたしはツインテールをやめた。高校3年生の体育祭の翌日か翌々日である。理由は単純で、性別違和による心理的苦痛に耐えられなくなり女子の肩書きを下ろすことに決めたからだ。ありがとうさようなら、18年間のロングヘアの歴史に幕を下ろしに美容室の予約を取って、ショートにした。しかし問題はその後だった。美容師さんには高校の男子の規則(襟足が襟に付かない、髪が耳にかからない、……)を伝え、確かにその通り切ってもらったのだが、家に帰って素に戻って鏡を見たらウィメンズショートの女が映っていた。というかどうして髪は切れるのに胸は切れないんだろう?この世の全てが悔しくて一人で泣いた。家族が不在のときに洗面台に向かい、ハサミで髪を切り刻んで納得の行く切り方にした。いや、納得はできなかったが、それで満足することにした。母はその姿を見てわたしを罵倒した。父は何も言わずに黙っていた。食卓は気まずかった。
うちの子じゃないみたい!視界に入らないで!こんなんだったら男が女になる方がよっぽど良かった、その方がよっぽど、美しくなる方がよっぽど良かったのに!
と、泣かれた。いやぁ…
知るかよ。全方面に謝れ。
(数年後、母は発言を撤回し謝罪しました。)

その後は千円カットに行くことにした。そのたびに髪型について罵倒されるわけで、早く実家を出たかった。俺は人形じゃないんだぞ。
でも2015年の鹿児島って、女の処遇って、こうだったんです。
子ども、特に女子は親の人形で、よその家庭の話をするのは憚られるが職業も進学先も、そもそも進学させてもらえるかどうかも概ね親に制限されるのが当たり前だった。鹿児島の女子の大学進学率は29%だ。男子も35%である。その点わたしは東京の志望する大学に進学できただけ「マシ」だったのかもしれない。尤も時代にも地域にも「存在権」こそ無かったが。
>>参考
4.ロリィタと「俺」
「#2 侍う胴」で述べたとおり、大学4年生の終わり頃に乳房切除術を受け、晴れて髪だけでなく胸も切り落とすことに成功した。あれだけ否定的だった両親も今では性同一性障害への理解が進み、わたしの存在、つまり息子の存在に対して肯定的だ。そしてシルエットが思い通りだと自分が快適この上ない。ツーブロックにノーメイクでも、実はテイストやコンセプトによってはロリィタも自然に着られることにも気付いた。
ロリィタファッションは戦闘服だ。己の身を守ってくれる。心を奮わせてくれる。それでいて美しさが、自信が、武器になる。年齢や性別から開放してくれる。人間であることからさえも開放してくれることだってある。かつてツインテールがわたしを救ってくれたように、今度はロリィタが救いだ。
今の新しいスタンスとしては、性自認は男性のままロリィタを着ている。それに、わたしは自分をこう説明することもできる:
【 FTM の自分が「婦人服」を着るという試みは、たった20数年で自己に内面化してしまった性別二元論(性を「男」と「女」のどちらかに分類する社会規範)に対する抵抗であり、ノンバイナリーやジェンダーフリーとの融和であり、そして何より好きなものを自分で肯定するという自己肯定のプロセスなんです。(2022/7/28 記す)】
あの頃着られなくても、女子の肩書きがなくても、24歳になっても。自分が愛してさえいれば。理想の姿さえあれば。ロリィタファッションも、そしてツインテールも、きっと様々な人を魅了し、それらが持つ独特の世界を以て迎えてくれることだろう。


おしまい🦋🦋🦋
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