☆前編のあらすじ☆
・地元はジェンダーに関して父権的保守思想を貫いており、セクシャルマイノリティは差別と偏見に晒され、在住当時は「存在する権利」さえも無かった。
・衣食住や教育に関してはたいへん恵まれた環境にいたが、性同一性障害やFTMへの無理解から、友だちや家族からは心無い言葉をかけられることがしばしばあった。
・そのため「解剖学上の女性」や「我が家のひとり娘」といった肩書きを、二十歳までは全うして生きていくと心に誓った。(追記:二十歳で男性に性転換できなければそこで人生を終えるつもりでいた小中学生時代でした)
・当時救いを差し伸べたのは「ツインテール」と「ロリィタファッション」であった。(中編はここから!)
1.ツインテールの救い
中学は校則が厳しかったこともあり、いつも低い位置で髪を一本に縛っていた。高校に上がり髪型が自由になると、わたしは耳の高さより少し上でツインテールをしてみることにした。そういう髪型の人は校内にはあまりいなくて、ポニーテールやお団子、ショートならボブと相場が決まっている。そこに堂々ツインテール。一度も染めていないのに烏のように真っ黒な、重い前髪。横髪なし。そして、ここは校則を守ってノーメイク。今思えば、カラコンとかアイメイクとかをしていたらもっと似合っていたはずだ。
が、ノーメイクはわたしのポリシーでもあった。性別違和からか解離症状が酷く鏡を見ても誰だか認識できない状態だったが、わたしはその顔にメイクしたいとは思わなかった。ただ単に重い前髪のツインテールがしたかっただけなのだ。
ツインテールはそれ自体が武器だった。わたしにとっての強さの象徴であり、「自分は他の人と違っている」という事実をプライドにしてくれた。自信が湧いた。上手く結べると部活の大会も突破できる。そのレベルだった。
そして同時に少しの淋しさも現れていたのではないかと思う。切りっぱなしの長い髪は2つに分けて括ってもとても重く、授業中はセーラー服の肩にも乗らずに机にドサッと落ちていた。
セーラー服にツインテール、というアイコンが「ひとり娘という肩書きを全うする誓い」をカタチにし、同時に「男性という自認の封印」となっていたのだった。
2.ロリィタコーデの救い
ロリィタは日本発祥の、(主に)女性向けのファッションで、モチーフのポップなキュートさや、あるいは頽廃的な美しさや、あるいはヨーロッパの昔の貴婦人を思わせるような上品さを衣服・装身具にしたためたものであり、一種の芸術作品とも言える。デザインごとにスウィートロリィタ、ゴシックロリィタ、クラシカルロリィタなどとも呼ばれ、そのジャンルの広がりや進化はとどまることなく、ゼロ年代以降の日本の服飾文化の一端を担っている。
わたしは高校1年生のときロリィタに出会った。ロリィタ服という存在は知っていたが、それでも衝撃的だった。『ゴシック&ロリータバイブル』(現在休刊中)を買った。イノセントワールド、アンジェリックプリティ、アリスアンドザパイレーツ、プリンセスドール、ミホマツダ、ピナスイートコレクション……。かわいい。全部かわいい。高校生のお財布には値が張るけどこれは着たい。着たすぎる。中村明日美子先生の漫画を読んでおとなになりました。青木美沙子さんってどれを着ても似合うなあ。ゆらさんのゴシックスタイルはなんて麗しいのだろう。アキラさんって女性なの!?この高身長イケメンが生物学上の女性???ルウトさんの皇子スタイルは完成されたV系バンドマンみたいでほんとうにかっこいい。
自分も着たい。絶対に自分のツインテールとマッチする。ねえママ見てよこの服かわいい。着たいけど鹿児島じゃ売ってなくて残念だわ〜。ウチもネット敷いてればオンラインショッピング?ってのができるんだけど、ネットでもの買うのって怖いし、ねー。
え……ここ鹿児島よ?こんな服どこで着るの。原宿じゃないんだから……。それに、お化粧できないでしょ?というかしないでしょ?
ぐうの音も出ないし素直に悲しかった。たまに中央駅にいるがね!アミュプラザにロリィタの女の子たち居るがね!!
ロリィタを着れば女の子でいられるかもしれない、肩書きを全うできるかもしれないと思う自分と、ロリィタを着ることによって「普通の」女の子とは違うんだぞと差別化を図ろうとする自分がいた。しかしそれは実家に居る限りでは叶わなかった。わたしは空想した。自分でお裁縫してクラシカルロリィタ風のジャンパースカートを作った。世界観に浸った。ロリィタの世界に意識を投じた。生きた。
そうこうしているうちに、わたしは女性でいられなくなった。
次回(後編)
3.じゃあもういっそ散切り頭にさせてくれよ
4.ロリィタと「俺」
お楽しみに!🦋🦋
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