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チャーリー

#2 侍ふ胴〔さもらう どう〕

更新日:2022年7月19日

侍ふ〔さもらう〕

ようすを見守り、よい機会をうかがい待つ。よい風向きや潮時、また逢瀬などのくるのを待つ。―デジタル大辞泉


 あなたは胴を切ったことはあるだろうか。腹じゃないですよ。あ、でも稀によくいますよね胴に縫合跡があるって人。


 そう、私は大学4年生の3月、卒業間際に胴を切った。どういう意味かというと、


ついに「乳房切除術」を受けたのである。


 通常、本人以外が体型について言及するのはご法度であるが、本人としてあえて言及するならば当時の私はEカップの大きなお胸を持ち合わせていた。決して自慢ではない。なぜなら私の性自認(心の性別)は男性だからである。ここでは性同一性障害に伴う乳房切除術について、簡単な記録をしておきたい。


山梨大学医学部附属病院の噴水

間違っても「切るだなんてもったいない……」とは言わないでほしい。いや、言いたいことは解るが。


 先に言っておくと、手術によって切り落とされたお胸は山梨大学医学部に寄附致しました。医学生の学修と医療の発展に貢献できていることを祈ります。


身延線に揺られ常永へ。甲府から南下。

1.どういう手術?


 乳房切除なら切ったのは胸だろう。と思うのが恐らく普通で、手術を受ける前は私もそう思っていた。が、麻酔から覚めて包帯を外してみると、そこにはキレイに一直線に縫われた「胴」があった。肋骨の中心、少し高い骨の位置を基準に真っ直ぐ縫われた胴。どういうことか。

 乳房切除術は、胸のサイズや全体的な体の大きさといったもののバランスを見る形で、数パターンの方法から選ぶこととなる。比例や反比例のように表現できるものでのもないので図を貼るが、実際の方法を決めるのは患者と形成外科の執刀医である。



(図は自由が丘MCクリニックより引用、ページリンク済)


 私が受けた手術は、「傷跡は大きく残るが、ぺたんこな胸板が手に入る可能性が高い」もの、すなわちもうダイナミックに胸をバッサリ伐採して乳輪などだけ新しい場所に植え込む、という荒業である。確か3時間くらい経った気がする。

 斯くして入院生活2日目が無事に終わった。



2.保険適用か否か


 2018年4月、法改正により乳房切除術は「保険適用」となった。これは大きな、しかし微々たる進歩と言えるであろう。

 従来、性同一性障害に関して、手術に保険が効くことはなかった。すべてが自費だった。胸を胸板にするだけで70万円かかった。そんなお金みんながみんな持っていると思うなよ、とキレながらこの日を待っていた。保険適用。なんて素敵な言葉だろう。

 しかし問題は依然として残っている。まず、「ホルモン治療をしていない患者」に限定されたのだ。多くの性同一性障害当事者は、体の性と逆の、心の性に一致するホルモンを投与する治療を行っている。それにより、より「精神的な自分」像と「身体」のギャップを埋めていく。しかしそういった患者は保険適用の対象とならない。2018年当時、当事者の界隈は荒れに荒れていた。


 私は芝居や歌をやっている関係で、ホルモン治療はドクターストップがかかっていた。このことが偶然吉と転じ、保険・高額医療費制度を利用できたのであった。



3.7泊8日の入院生活


 山梨大学医学部附属病院にて、8日間の入院生活を送った。初日はPCR検査と内科的診察、手術の説明、同意書への署名といった事務的なことが行われていく。手術は2日目に行われるので、それまで「普通」に過ごす。手術の何時間前からご飯や飲料の制限があるが、それを乗り越えれば23年世話になったお胸ともお別れだ。往路で着てきたブラトップも復路では思い出の手荷物だ。


 胸潰しシャツを着ると胸の形が崩れ手術に影響する、という情報をむかしネットで調べて得ていたので、潰さないで過ごしてきた。自分にとっては見た目が不愉快だった。襟のある硬い生地のシャツで第1ボタンを開けてデコルテを盛り、裾はズボンにinして腹のあたりでたくしてアンダーを盛った。自分でなければどれほど良かっただろうと何度も思った所謂「女性」らしい胸。カップ数を友人に明かすとかなり驚かれた。


 この着こなしで、BかCくらいには見せることができるらしい。関係者各位のご参考になれば幸いである。


 術後は、痛かった。鎮痛剤を飲んだ。何が痛いのかというと、出血するのである。




鎖骨の下のあたりにチューブを刺して、ドレーンパックにひたすら血を流し込む。退院前までこの状態でなおかつ点滴も刺したままなので、お手洗いが特に不便だった。尤もノンビリ入院生活に急かす人など誰もいないのだが。

 風呂には入れないので看護師さんからお湯で濡らしたタオルを受け取り、体を拭く。一般的な入院生活とそうそう変わらない8日間が過ぎていった。ちなみに給食は美味しかった。

 帰宅してからも、暫くは激しい動きや力仕事は控えることとなる。介助者がいたほうが生活的には苦労の度合いが減ると思われる。



4.人生を変える選択となった


 当たり前すぎるが、胸と胸板じゃ全然ちがう。レディース服は縫製によっては胸の部分の布が余るし、メンズ服はもうごまかしごまかし着る必要などない。快適だった。やっと「ただの背の低い男の子」になれたと感じた。実際胸をなくしてからは、パンツを脱がない更衣は男性更衣室で行えている。猫背で胸を隠す必要はなくなり、本当の意味で胸を張って歩けるようになった――。

 先述の通りホルモン未投与であれば保険・高額医療費制度適用、さらに大学生協の保険も使えたので本来の10分の1くらいの費用で人生を変えることができた。


 手術のためには2名の専門医の「意見書」が必要であり、その道のりはとても長い。手術だって何ヶ月も待ちがある。

 が、何年だって待ってやる。名の変更だって20年以上待った。乳房切除も23年待った。これから性別という概念、ジェンダーという概念、性に関する様々な概念や定義、関係の法律が変わっていくだろう。わたしはここにいます。こんな背景を持つ市民がここに生きています。そう声を上げながら、人々と連帯し社会を切り拓きながら、多様な人々が普通に暮らせる包摂的な時代を、これからも待ち続ける。



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