今年も終わるので。
2022年を生き残った者の願いを記します。
1.願い
「性同一性障害の自分にも、この世に居場所がほしい。」
これは今の自分が最も願っていることである。
理由。
私は、生まれは“女性”で声も“女”、すると男女別の競技や活動(例えば合唱とか)では「女子」とともに時間を過ごす時間が必然的に長くなる。私はシスジェンダーの男子と同じように、男子と一緒に活動・行動したい。周りの人は「あなたが男性でも女性でも、気にしないよ」と言う。そうじゃなくて、私が男性と一緒のチームで競技や活動がしたいのだ。男性のコミュニティに居たいのだ。その苦悩を、ひとは解ってはくれないし、「気にしないよ」が最適解だとすら思われている節がある。
当事者が「気にしないで」と言うのは尤もだが、周囲がこういったことを気にしないのはちょっと違う。私が女子のコミュニティの中で、本当は独りで、孤立していて、その間に男子たちはチームとしてなんとなくそれなりに関係を築いていて、私は置いていかれていて、居場所を失っているということ。その仕組みに気づいてほしい。いちいち説明しないといけないのも辛いし説明しても分かってもらえないこともあるので非常に辛い。私は男子の輪に普通に存在していたい。
しかし、かと言って、その輪に男子のホモソーシャルなノリがある場合それについていけるとも限らないので、例えば女性蔑視発言に辟易していると「お前ほんとに男か?女子の輪に帰れよ」と言われる場合もある。
性同一性障害者に、この世の中には居場所がない。
2.アイデンティティの揺らぎ?
私は自身のTwitterやInstagramで投稿している通り、「レディースファッション」と呼ばれるものが好きだ。ロリィタ服が好きだ。型紙から自作してスカートを縫うくらい好きだ。全く「男らしく」ない。とは言わせないよ。裁縫は親父に習ったんだ。
スコットランドではおじさんがタータンチェックの巻きスカートを履き、サモアの男性警察官は膝丈のスカートを履き、日本男児は着流し(ワンピース)で和服を着ている。らしさなんてものは地域と時代に限定的で、スカートスタイルは女性のものではない。
とはいえ、「レディースファッション」をするときとしないときとで多少のアイデンティティの揺らぎがあるような気がする。今日は絶対にメンズ服を着たくない。今日は絶対にスカートを履きたくない。このゴシックワンピースは男物だと思って着ている。この自作ズボンに性はない。ジェンダー・アイデンティティと服装とをどこかで結びつけているし、しかもその組み合わせは無限に存在すると思っている。
私は性同一性障害当事者で、FTMであり、女性の肉体を所持することに嫌悪感を抱いているが、それは性表現やジェンダーロールとは結びつかない。性自認と性表現は必ずしも一致しないというのが近年の新常識となっており、公的機関も啓発に努めている。
しかしこと自分に関しては、性自認が揺らがないからと言ってアイデンティティまでも揺らぎがないとは言い切れないのが実情だ。シスジェンダーの人々はどうなのだろうか。アイデンティティって揺らぐのだろうか。マジョリティと呼ばれる人々の感覚が、私には未知の世界である。
ひとが私の孤独を分からないように、私もまた人々が分からない。
そんな「わからないもの」同士、2023年もどうぞよろしくお願いいたします。
よいお年を🌈🌞
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